芳山_一体山 VOL.2/2 inserted by FC2 system


芳山頂上から稜線に沿って 奈良公園保安員の
巡視路を南へ向かって歩いています 少々藪っぽい道






真下に林道が見えます この斜面を下ることも出来ますが
他にルートがあるかもしれないのであたりをうろつきます







画像中央に小さく見える建造物は
高円山(たかまどやま)ホテル






こちらの方が斜面がなだらかですが
踏み跡が見つかりません






私設のロープを発見
ここから降りるルートがありました






芳山の案内板(芳山からきました)







なるべくロープに頼らずに降ります
かなりの急斜面!






ここからは大きな木がないので
木につかまることが出来ず 慎重に下ります






こんなところにも案内板が設置されています







林道に降り立ちました ここは切通しとなっていますが
以前は向かい側の稜線に道が続いていたようです






クルマを駐車した峠の茶屋方向へ歩きます







右の道は地獄谷方面への徒歩道







車道を歩きます







古びた道標







峠の茶屋に到着
マウンテンバイクに乗っているのは白人男性






この茶屋は江戸時代からあるそうです







商品を陳列している棚







一旦 店の外へ出ます







今度は白人女性が目の前に現れました―笑







骨董品が並んでいます
ここで持参の弁当を食べ 味噌汁を注文しました






峠の茶屋を後にします







クルマで太安萬侶(おおのやすまろ)の墓へ
古事記を編纂した学者






奈良市田原(たわら)の案内板







墓は茶畑の中にあります







田原の風景







茶畑







眺めのよい南向きの場所です 







雑草は刈り取られよく手入れされていました







説明板







一体山(いったいやま)南斜面の林道入口に
クルマを駐車し車道を歩きます






大和高原の風景







林道をしばらく歩くと分岐があり
左方向の一体山へ向かいます






地図では この先 林道は行止り







林道の建設に伴って林道脇へ移動されたとみられる石仏







寛政三年と刻まれていました(江戸時代 1791)







林道歩きが続きます







このあたりは雑木林 残雪があります







やがて道はダートに















頂上が近いようです
ヒノキの植林帯






山頂付近にあった石







一体山頂上(595.1m) 展望なし
山名板は一つだけありました






役行者の石造







“一大山”と印され 宝暦十三年(江戸時代 1763)の年号
そして大柳生村(おおやぎゅうむら)と刻まれていました






来た道を戻ります















関西電力の送電線







鉄塔の下から撮影







画像中央に僅かに見える山は
若草山と思われます






この山の近辺は自然林も残っており
動物も数多く生息しているようです